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耳鳴り研究の歴史~ルネッサンス時代~ | 耳鼻咽喉科 渡辺医院
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2018年7月4日

耳鳴り研究の歴史~ルネッサンス時代~

耳鳴り研究の歴史~イスラム時代以降の中世~では、耳鳴りの遮蔽(しゃへい)現象が発見されたこと、難聴や耳鳴りの原因の一つとして水銀中毒が発見されたこと、治療法として点耳療法のほか、ウォーキングなどの運動療法や、牛の尿と酢、ラム酒による燻蒸(くんじょう)消毒といった方法がとられたことをご紹介しました。

さらに時代をくだり、16世紀以降のルネッサンス時代。
この時代には、耳鳴りはどのようなものと捉えられ、人々は耳鳴りとどのように付き合っていたのでしょうか。

さまざまな治療法が試される

スイスの医師・化学師、錬金術師、神秘思想家であったテオフラストゥス・ホーエンハイム(通称パラケルスス)は、その三部作のなかで、強く大きな音を聴いた後には耳鳴りが生じる可能性が高いことを記しています。
また、当時有名だった学説に基づき、耳の形をしているシクラメンの葉を耳の病気の治療に使うこと、耳鳴りの治療として耳介のマッサージ、耳後部の吸角法(ガラス容器にアルコールを入れて燃やし、それを患部につけてうっ血状態にする治療)、舌の裏側の血管である舌下静脈から血をだすことなどを提唱しました。

さらにフランシス・ベーコンの死の翌年に発表された書物では、音響障害のあとの耳鳴りについて、「通常の歌声やシューという音よりも異常に大きい雑音」と表現されている箇所があります。

1683年には、耳科学の教科書が出版されています。
この中で耳鳴りは、10ページにわたって記載されており、それまで根強いものであった「耳鳴りは耳のなかに閉じ込められた空気が原因である」とする説が否定されているのです。

このころになると、耳鳴りの手術療法も考案されました。
この手術は、前述の耳科学の教科書が出版されるまで耳鳴りの原因として根強く支持されていた「耳のなかに閉じ込められた空気」を抜くものでした。

さらには、自覚的耳鳴り(耳鳴り患者にしか聞こえない耳鳴り)の治療のために石を叩いて大きな音を出す方法や、耳にチューブを装着して鼓膜に圧をかける方法など、点耳療法以外の治療法がさまざま考案されたのです。

電気刺激によって耳鳴りの抑制に成功

ここで外すことができないのが、電気治療の登場です。
1768年、はじめて耳鳴りと難聴の電気治療が行われました。
これは、発生した静電気を蓄電できる機械を利用したものです。

さらに時代をくだって1800年になると、電池が考案され、電池の発明者が自らその電池を用いた電気刺激実験を行っています。
ただここでは、「二度と繰り返したくないような強烈なショックを感じた」と報告されているのみでしたが、その後すぐに別の研究者が電気刺激を耳鳴り治療に応用し、それを解説した書籍が出版されています。
そこでは、耳鳴りがする患者に電気刺激を与えることで、耳鳴りの抑制が認められたとされています。

 

さまざまな治療法が試された16世紀以降のルネッサンス時代では、多くの研究者が耳鳴りの治療に苦心していたことが伺えます。ここで電気治療が生まれたことは、大きな一歩だったといえるでしょう。

渡辺医院院長 渡辺繁

東大病院耳鼻咽喉科助手、JR東京病院勤務を経て1988年に渡辺医院開業。日本耳鼻咽喉科学会専門医。日本耳鼻咽喉学会・日本めまい平衡医学会所属。

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