耳鳴り研究の歴史~イスラム時代以降の中世~

耳鳴り研究の歴史~ギリシャ・ローマ時代~では、耳鳴りが3種類に分類されていたこと、予後の悪い耳鳴りの治療法として、運動、マッサージ、うがい、禁酒などの食事療法、現代では考えられない奇妙なものを耳に入れる点耳療法が行われていました。
時代をくだり、イスラム時代以降の中世はどうだったのか、みていきましょう。
耳鳴りの遮蔽(しゃへい)現象が発見される
7世紀、イスラム文明が開花したころ。
この時代には、耳鳴りは耳のなかに閉じ込められた空気であるという考えが信じられていました。
アイギナのポールは、耳鳴りを、中耳炎などによる急性耳鳴りと、その他の原因をもつ慢性耳鳴りに分類しました。急性耳鳴りの治療には薔薇油や酢の点耳が、慢性耳鳴りには酢や硝酸、蜂蜜や毒ニンジンの種といった、ギリシャ・ローマ時代とある種似ている、奇妙な点耳が用いられていたことがわかっています。
さらに時代をくだり、著名な医学書『医学典範』『治癒の書』を書き残したペルシャの医学者イブン・スィーナーは、前述のポールの急性耳鳴りと慢性耳鳴りの分類に加え、聴覚過敏による耳鳴りを発見しました。ポールの時代から300年ほどが経過しているといっても、耳鳴りの治療にオイルや芳香薬を外耳道へ注入する方法がとられていたことに変わりはありませんでした。加えてイブンは、耳鳴りを軽減する方法として、にぎやかな場所を歩くことや、泣くこと、泣き声を聞くことを挙げています。これは今でも用いられている「耳鳴りの遮蔽現象」、つまり、耳鳴りに似た音を聞くことで耳鳴りが一時的に和らぐ現象を指しているのでしょう。
この時期には耳鳴りの原因の報告も
この時期には、耳鳴りの原因を突き止めたという報告が複数なされています。
前述したイブン・スィーナーは、水銀中毒による難聴と耳鳴りを報告しています。さらには、イギリスの医師ギルバータス・アングリカスは、耳鳴りは耳の脆弱性に起因していると主張し、点耳性療法は耳に刺激を与えるとして警告しています。フランスの外科医ギー・ド・ショーリアックは、耳鳴り治療として、運動療法(ウォーキング)と遮蔽療法、牛の尿と酢、ラム酒による燻蒸(くんじょう)消毒がよいとしました。燻蒸消毒とは、害虫駆除、防カビ、殺菌のために用いられる方法で、煙を出す消毒方法です。いまでも、煙を出す害虫駆除のための商品が販売されていることから、イメージしやすいでしょう。
ギリシャ・ローマ時代からさらに時代をくだったイスラム時代以降の中世では、耳鳴りの原因が報告されたり、長らく続いていた点耳療法を批判する声が聞かれたりと、耳鳴り研究に進展がみられたことがわかります。また、遮蔽現象が発見されたことも大きな進歩だといえるでしょう。

渡辺医院院長 渡辺繁
東大病院耳鼻咽喉科助手、JR東京病院勤務を経て1988年に渡辺医院開業。日本耳鼻咽喉科学会専門医。日本耳鼻咽喉学会・日本めまい平衡医学会所属。