耳鳴り研究の歴史~ギリシャ・ローマ時代~

耳鳴り研究の歴史~エジプト・メソポタミア時代~ では、古代エジプトの記録媒体「パピルス」に耳の病気についての記述があったこと、メソポタミア時代の石版では、耳鳴りは「悪魔の歌・声」だとされていたことなどをご紹介しました。
ここで取り上げるギリシャ・ローマ時代は、紀元前5世紀ごろから始まります。先にご紹介したエジプト・メソポタミア時代から200年ほど経っています。
ですが、耳鳴り診療において大きな変化はみられません。この時代の医学を記録したものとしては、ギリシャの哲学者エンペドクレスとギリシャの島であるコス島の名医ヒポクラテスの記録があります。
エンペドクレスとヒポクラテスの記録
エンペドクレスは、人類の世界は、①空気、②土、③火、④水の4つの要素から成っているとしました。
さらに人間の健康もその4つの要素に呼応し、黄色の胆汁・黒い胆汁・血液・粘液の4つの体液のバランスと、熱・冷・乾燥・湿潤の4つの体質のバランスによって成立していると主張しました。
ヒポクラテスは、初めて生体の鼓膜を観察して、それが聴覚器官であるとしました。
彼の業績は死後、ヒポクラテス全集としてまとめられており、耳鳴りは6か所において触れられています。
その中で耳鳴りは、“sound(音)” ”hum, buzz(ブーンという音を立てる)” ”gentle noise(穏やかな騒音)”と表現され、危険な症状の一つであるとされています。
さらには、耳鳴りは頭痛の原因になること、発熱時に生じやすいこと、出血後や生理の開始時に生じること、難聴の一部は耳鳴りが原因であることなども記載されています。
耳鳴りを3種類に分類したアウルス・コルネリウス・ケルスス
さらにアウルス・コルネリウス・ケルススは、当時の医療を『医学論』にまとめています。
その中で、「耳の病気は耳のなかに雑音が生じ、それは難聴の原因となる」として、耳の中の雑音(=耳鳴り)を頭の風邪、頭の持続する疼痛、けいれんによるもの、の3種類に分類しました。
頭の風邪は予後のよいものとされていましたが、その他の2つは現在の自覚的耳鳴り(本人にしか聞こえない耳鳴り)に相当するものと思われ、予後の悪いものだとされていました。
この予後の悪い耳鳴りの治療として、運動、マッサージ、うがいのほか、禁酒などの食事療法がすすめられていました。
この背景には、耳鳴りを苦痛なものとし、その苦痛を和らげるための飲酒が一般的になっていたことが想像されます。
その他、耳鳴りの治療の記述としては、白内障の手術をしたことで有名なギリシャのクラウディウス・ガレヌスのほか、大プリニウス、などが挙げられます。
このころの治療法は、点耳療法(耳に薬を入れる治療)がメインでした。
この時代にはなんと、シラミや牛の胆汁、狐の脂肪、狸の精子や糞、馬のよだれ、ゴキブリなどを薔薇油に溶かしたものなど、一風変わったものが点耳薬として使われていました。
さらには、麻薬や催眠薬も投与されており、耳鳴りが当時から苦痛なものとして治療の対象だったことがわかります。

渡辺医院院長 渡辺繁
東大病院耳鼻咽喉科助手、JR東京病院勤務を経て1988年に渡辺医院開業。日本耳鼻咽喉科学会専門医。日本耳鼻咽喉学会・日本めまい平衡医学会所属。